地蔵の原因を探る旅

仕事の休憩なのか就職活動なのか、その子はスーツを着ていた。ずっと暇そうに携帯をなぶってた。
茶店にそんなかわいい子がいた。

それで、その子とどうやったらヤレるのか、目をつぶって考えた。

なぜかセックスを想像することはできるんだけど、声をかけることは想像出来なかった。声をかけれないのではなく、声をかけることすら想像できなかったのだ。


二、三回試してみたけど、ダメだった。これが地蔵だ。

この感覚はいつも不思議だ。


どう考えても、知り合わなければその先はない。

もちろん、女の子から話しかけてくれれば知り合える。だが、そんなことがおこる可能性は限りなくゼロに近いだろう。
だから、自分から話しかけるしかない。そうしないと、話すこともなく、デートをすることもない。一緒にお酒を飲むこともなく、セックスに至ることもない。
もう二度と見ることさえないだろう。


論理的に考えれば、知りあうというフェーズは必須だ。

それにも関らず、その子とのセックスは想像できても、声かけが想像できないのはなぜだろう?


それは論理的でない何かが原因で、声かけが想像できないのではないか。
すなわち、無意識とか潜在意識と言われるものが邪魔をしているのではないだろうか。

さて、無意識に何を考えているのかが分かれば、解決策が見えてくる。だが、「無意識」というぐらいだ。意識して何を考えているか分かるはずはない。


そこで、本の力を借りることにした。
参考にしたのはこちらだ。
「感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性」


人間の脳内には、二つの独立したシステムが共存している。
直観的なヒューリスティック処理システムである「自律的システム」、論理的な系統的処理システムである「分析的システム」の二つだ。


「自律的システム」は、刺激を自動的かつ迅速に処理し、意識的に制御できない反応を引き起こす。
たとえば、高級チョコをいくつか食べてもらう実験がある。被験者はチョコが出てくるたびに大喜びで食べるのだが、その次にでてきたものを見た瞬間、急に顔を曇らせる。なぜなら、そのチョコは大便のような色と形をして出されたのだ。
さっきまで大喜びして食べていたのだから、そのチョコを口にすれば、ものすごく美味しいことは分かっている。だが、多くの被験者はそれを口にすることを拒んだ。


つまり、論理的な系統的処理システムである「分析的システム」では美味しいとわかっていても、直観的なヒューリスティック処理システムである「自律的システム」が食べるという行為を邪魔したのだ。

どうだろう、声をかけなければSEXできないとわかっていても、声をかけられないのと同じ構造ではないだろうか?


そう、この「自律的システム」が私たちを地蔵にしていたのだ!

では、これを克服する方法はあるのだろうか?今度、続きを書いてみたい。


●今日の一言
地蔵の原因は無意識の私。