がんばらない。当然さ!

今日も街に出ていない。


毎日、1日の計画をたてて、それの通りに行動しようと思うのだけど、
いまだ1度も計画通りに1日を過ごせたことはない。
もう1年以上も毎日、計画を立てているのに1度もうまくいかないなんて!
突発的なことがあるからではなく、無性にその日にやる必要のない調べ物をしたり
動画を見たくなったりして、その誘惑に耐えられずに寄り道をしてしまうのだ。
計画通りに行動できないのには、おそらくいくつかの理由があるのだろうけど、
そのうちの大きな原因の1つとして『現状維持バイアス』があるのではないかと疑い始めた。


朝は順調である。たとえば5時に起きたとして、2時間ほど勉強したとする。
あー、今日はよくがんばってるな、自分。
朝早くに起きて勉強だなんて、えらいじゃないか。
フフフフフ・・・。
しかし、こんな風に自己満足を始めたら、それが計画から踏み外れる合図である。
よくがんばったし、ちょっとぐらいダラダラしたって罰はあたらないよね、と思ってしまうのだ。
もう、何度何度もこれを経験した。
そして、さんざんダラけた後に我にかえる。
あれ?なんだ私はこんなことしてたんだっけ?
さらに、またやらなくてもいいことをやってしまったと後悔し、自己嫌悪に陥るのだ。


問題は「自分はがんばった」と思うことではないだろうか。
もし、「自分はがんばった」と思わなかったとしたら、
「ダラダラしたって罰はあたらないよね」という思いも浮かんでこなかったのではないだろうか。
「自分はがんばった」と自分自身を褒めてやることは、自尊心を高め、
自分のことを好きになり、自信を深める良いことだと思っていた。
しかし、それが実は自分の行動を邪魔しているのかもしれない。


勉強するということは、今の自分から変わろうとすることであり、
よくがんばったと思うほど勉強したら、それは自分が大きく変わることを意味する。
しかし、人間にはなぜか大きく変わろうとすることを避ける習性がある。
現状維持バイアス』である。
だから、よくがんばった後は、その分、ダラダラして今の自分を保とうとする。


これを克服するには、「自分はがんばった」と思わないようにすればよい。
すなわち、「当然っしょ、このくらい」と当たり前に感じられれば、
現状維持バイアス』から逃れられるはずだ。


では、当たり前に感じるにはどうすればいいのだろうか。
これはもう、がんばったと思うようなことを、当然だと自分自身に言い聞かせるしかないだろう。
毎日、紙に「勉強するのは当然」と書くとか、あるいはそう書いた紙をどこかに貼っておくとか。
はたまた声を録音して何度も聞くとか。
もっと効果的な方法があるかもしれないけど、思いついたことをさっそく今日からやってみる。


ところで、私はストで声かけしたときにも、よし、よく声をかけた、えらいぞ、と自分を褒めてしまっていた。
そのせいかどうかは分からないが、昨日はストしたから、今日は休むか、と考えてた。
しばらく、自分を褒めることを止めることにする。
この試みがうまくいくことを祈るばかりである。

リトル・ミス・サンシャイン【ネタバレあり】

今日も街に出ていない。
たぶん、あと2、3日は街にでない。


リトル・ミス・サンシャイン』を観た。


登場する主な人物はプルーストを研究する元学者の家族たち。
彼はゲイであり、恋した男子学生に振られる。
しかも男子学生が付き合い始めた相手は、プルーストを研究するライバルの学者であった。
そのショックから、彼は自殺しようとするも、病院へ送られ一命をとりとめた。
病院には彼の妹が駆け付け、兄を家に連れて帰る。
彼の妹は結婚しており、夫と2人の子供、それから夫の父と暮らしている。
子供は高校生くらいの男の子と、小学生低学年くらいの女の子だ。
この女の子がリトル・ミス・サンシャインと呼ばれる美少女コンテストに
参加することとなり、彼らはコンテスト会場へ向かう。
コンテスト会場へは、飛行機を使って移動したほうが良いほど遠く離れていたが、
彼らにはお金がなく、オンボロの車で出かけることになった。
物語の序盤は登場人物の人柄を紹介するエピソードがえがかれ、
中盤は、コンテスト会場へ向う道中のいくつかの出来ごと、
終盤は、コンテスト会場での出来ごとという流れになっている。


登場人物の設定はこんな感じ。
兄      プルーストの研究をしていたゲイの元学者。
妹      世話焼きで癇癪持ちの女。
妹の夫    成功哲学をプレゼンする、成功する見込みがなさそうな男。
夫の父(祖父) 薬でラリって老人ホームを追い出されたエロおやじ。
息子     パイロットを夢見るニーチェ崇拝の童貞。沈黙の誓いを立てており誰とも話さない。
娘      お腹がぽっこりでているちょっと肥満気味のもっさい女の子。


話の流れ
・車の一部が壊れて、全員で車を手押しで勢いつけないと、車が動かなくなる。
 『おにいちゃんのハナビ』って映画でも思ったのだけど、
  外に出て運動(『リトル・ミス・サンシャイン』では車の手押し)した人は表情が明るくなる。
・祖父は車の中で「もっとヤリまくりゃよかった」と喚き散らす。
 娘はイヤホンをしていたので聞こえていなかったが、イヤホンを取り、
 「何の話をしていたの」という質問に「政治の話だよ」と答える。
 卑猥な話とお堅い話のギャップが笑える。
 そして祖父は元気であるという伏線になっている。
・休憩所に着き、祖父は兄に何か買ってきましょうかと尋ねられポルノ雑誌を頼む。
 ここでも祖父は元気が有り余っており、死とはほど遠いことを意識させている。
・休憩所で兄はポルノ雑誌を買うが、そこで彼が恋した男子学生とはち合わせる。
 必死で隠そうとするけど、好きだった人にポルノ雑誌を買うという恥ずかしいところを見られてしまう。
・妹の夫が頼りにしていた広告業者(?)から、あんたはダメだと言われる。
・祖父はがっかりしている妹の夫に「おまえはよくがんばった」と優しい言葉をかける。
・コンテスト会場までは一泊しないと着かないので、宿に泊まる。
・宿ではコンテスト前夜をひかえた娘に祖父が振付を指南。
 振付を指南しているのが祖父であることは最初の方でも語られている。
・寝る前に自信を失っていた娘に対して、祖父は優しい言葉をかける。
・そして、その翌朝、まさかの祖父死亡。
 祖父は元気いっぱいでハチャメチャだけど、思いやりのある優しい人という描写がここで活きてくる。
・祖父の遺体を病院から持ち出さないとコンテストに間に合わないため、
 全員で病室から車へこっそり遺体を持ち出す。
 こういうバレないようにとる行動は緊張感を高めて、映画への集中力を持続させる。
・クラクションが壊れ、鳴りっぱなしになり、警察に止められる。
・車の中には遺体が置かれているのに、警察は車の後ろのドアを開けろと命じる。
 ここでも、遺体を運んでいることがバレるかもしれないという緊張感がある。
・ドアが開けらればれてしまうかと思いきや、ドア付近に置かれたポルノ雑誌を取り上げて、
 「おれはこういうのが好きだ」とニヤニヤするだけで、遺体に気付かれずに済む。
 ここでまさかポルノ雑誌が活きてくるとは・・。
・息子が色盲であることが発覚し、パイロットになる夢が破れる。
・息子はショックで暴れ出し、車が止められ、外に飛び出す。
・沈黙を守っていた息子がショックのあまり「ファーーーーク」と叫び狂う。
 ショックの大きさを、何カ月も守っていた沈黙の誓いを破るということで表現している。
・外に飛び出した息子を母がまず説得しに行き、次に娘が説得しにいく。
・コンテスト会場へ向かう道を間違えて、しかもバックができない道を進んでしまう。
 しかし、コンテストまでの時間がなく、バックできる場所を探している時間はない。
 そこで、柵を壊して無理やりコンテスト会場に向かう。
・コンテスト会場での受付をわずかに過ぎていたが、受付させてくれと頼む。
 しかし、締切の時間が過ぎているのに受付しては不公平だと、受付のおばさんは聞き入れない。
 このおばさんの態度が、コンテストは真面目で真剣だという雰囲気を伝えている。
・なんとかもう一人の受付の人に聞き入れてもらい、コンテストに参加できるようになる。
・コンテストは12人くらいの女の子が出場する。みんな化粧して気合いが入っている。
 さらに、歩き方や立ち姿はモデルのようだ。
 一方で、妹は恰好も歩き方も立ち姿さえもっさい。
・一人ひとり自己アピールの歌やダンスを披露していく。
 みんな洗練されており、妹は明らかに場違いという感じが醸し出される。
・ついに妹の自己アピールの番になったが、なんと祖父から指南されたダンスは
 ストリッパーのダンスだった。エロジジイさすがである。
 これを見た会場は凍りつき、あんなもの見てはいけないとばかりに退出する人が出始める。
・受付の固物おばさんは司会にダンスを止めるよう指示するが、家族はみんなでそれを阻止。
 結局、家族全員でストリップのダンスを舞台で踊ることになる。
・家族全員が舞台に上がったことで、その後、コンテストへの出禁をくらう。
・しかし、家族はボロい車に乗り込みさっそうとコンテスト会場を去っていくのだった。


思いだしながら書いたから抜けてるところあるかもしれないけど、
こうやって書き出してみると、ホントよく考えられてる!
地味だけど、ところどころ笑えるし、緊張感をうまく持続させてる。
みんな演技がうまかったけど、なにより脚本がすごく良い作品だった。
脚本がいいっていうと『ハングオーバー』を思い出す。
すっかり内容を忘れてしまったから、また見てみようかな。


いまさらだけど、ナンパ関係なさすぎて普通の日記だねコリャ!
違うブログつくろうかな。

クリーニング屋

今日も街に出なかった。


金曜日はみんな浮かれてるのだろうなぁ。
それなのにこのポツンとした感じ。ボッチですな。


そういえば、近所にクリーニング屋さんが2つある。
1つは店の正面がガラス張りになっており、白い蛍光灯で照らされた店内は
清掃が行き届いており、清潔感が溢れているのが外からでもわかる。
しかも、ワイシャツはいくら、スーツはいくら、のように金額も明示されていて安心できる。
チェーン店らしく、お客さんが何を求めているかよく考えられているのだと思う。
もう1つの店は、お茶っ葉屋さんの隣にあるのだけど、一見、何の店か分からない。
店の上には、ずいぶんと色あせた、元は赤色であったであろう文字にクリーニングと
書かれているから、たぶん、クリーニング屋さん何だろうなというのが分かる程度である。


店の横幅はたたみ一畳分くらいで、ガラガラガラと扉を横に引いてあける。
80歳くらいと思われる白髪のおじいさんと腰をくの字に曲げたおばあさんが座ってぼーっとしている。
店内に入ると、おじいさんは「あーいらっしゃいませ!」と元気にあいさつする。
遅れておばあさんは顔をあげる。優しい顔。
このスーツをお願いしたいです、と伝えると
「あーわかりました。すぐに出来ますよ。ウチは早いですから。
一日でできますから!しかも、安いんですよ。」
と自信満々に答える。たしかに安い。以前にも利用したことがあるのだけど、仕上がりも丁寧だ。
そうして仕上がり日を確認して、名前と住所を伝える。
どうやら会員管理のようなシステムはないらしい。
カードを作りますか?と聞かれることはないから。
もう何年も地元で働いているのだろう。住所を言うと、
「あー、あの辺ですか。あの辺はひろいですからねぇ」
と地元トークが始まる。おばあさんも混ざってくる。


きっと、もう働かなくても生きていけるのだけど、
人と話すのが楽しくて働いてるのではないだろうか。
私はこういう店が好きだ。人と話すことは楽しいんだ!という気持ちが伝わってくるから。
他方で、もう1つのチェーン店の方は目も合わせず、はい、仕上がりは何日になります、だけだ。
そんなの、人じゃなくてもいいじゃないか。
でも、ガラス越しに見える店内には仕上がった多くの服が
店の奥にかけられているのが見てとれる。
なんでかなぁ。値段は安いのに仕上がりも良く、話すのだって楽しいのに。
店の面構えもあるし、毎回、住所を言うのが面倒なのかもしれない。
でも、もしかしたら、話すのが面倒な人がけっこういるんじゃないかなー。


もったいないぞ! 人と話すのは楽しいことだぞ!
って思いをストでぶつけようと思うのだった。

一休

今日は街に出てない。


相変わらず、ついついブログを読んで分かった気になっちゃうんだよなぁ。
ブログを読んで、まるで自分がうまく連れ出せたかのような気になってる。
しかも、ケータイやパソコンの前でブログを見てる分には決して心は傷つかないし、
寒さで震えることもないから、なおさらブログを読むことに時間を使う。
それから、自分が知らない「魔法の言葉」みたいなのがあるのではないかと、
どこかで期待してるのかも知れない。これを言えばうまくいきますよ、みたいなの。
そんなもんあるかー!と思いつつも、自分が無知なだけなのかも知れないと自分自身を疑う。
要するに、自分のことを信じきれていないのだ。


街に出るたび、理想と現実の違いを目の当たりにして、もっと楽な方法はないのかと探し回る。
しかし、何も考えずに答えを探しまわるだけでは、いつまでたっても確信を持つことはできない。
確信を持つには自分で何度も何度も考えるしかない。
とはいっても、どうしても焦りが消えない。ゆっくりとしか変われないことを受け入れられない。


コレ、紙にでも貼っておこうかな。
「焦らない焦らない 一休み一休み」